1 背景
東日本旅客鉄道株式会社(以下「JR東日本」という。)が施行していた東北新幹線の御徒町トンネル工事において、平成2年1月22日、御徒町駅付近を掘削中にトンネル内部から圧縮空気が大量に噴出するとともに道路が陥没し、通行人等が負傷するなどの事故が発生した。
その後のJR東日本の調査で、トンネル掘進時に補助工法として施工した薬液注入工の注入不足の事態が明らかになった。
このような状況を踏まえ、本院は、上記工事の検査に際し、薬液注入工について、施工の実態、JR東日本の施工管理体制、工事費の支払などを中心に調査した。
2 事態の概要
上記の工事は、昭和62年12月、随意契約により「御徒町T新設他9」工事として、しゅん功予定平成2年9月、工事費2,861,784、590円(当初契約額3,295,000,000円)で株式会社熊谷組(以下「熊谷組」という。)に請け負わせたものである。
本件工事は、昭和62年4月、新幹線鉄道保有機構(以下「保有機構」という。)から概算総額1317億円(当初概算総額1208億円)で受託した東北新幹線の東京・上野間3.56kmの建設工事の一環として、上野駅付近から御徒町駅付近までの延長495mの新幹線複線型円形シールド大断面トンネル(外径12.5m。以下「御徒町トンネル」という。)のうち421mを建設するものである。
御徒町トンネルは、補助工法として圧気工法(注1)
及び後述の薬液注入工法を併用するシールド工法(注2)
で施工するもので、地質確認や薬液注入の施工のための基地として本坑の掘進前に構築されたトンネル(外径3.55m。以下「パイロツトトンネル」という。)を撤去しながら掘進するものである(参考図参照)
。
(注1) 圧気工法 トンネル掘削において、地下水の流入防止等を図るため、トンネル内の気圧を大気圧以上に保つ工法
(注2) シールド工法 シールドと称する鋼製の筒又は枠を推進させてトンネルを構築する工法。シールド後部でシールドの推進につれて鋼製又は鉄筋コンクリート製のセグメントを組み立て覆工を完成する。
平成2年1月22日、この工事において上野駅発進部から397m付近を掘削中に、トンネル内部から圧縮空気が大量に噴出するとともに上部の都道453号(春日通り)の一部が陥没し、通行人等17名が負傷するなどの事故が発生した。このため、同月25日、東京都から工事を施行していたJR東日本の東京工事事務所(以下「東工所」という。)に対し、保有機構を通じて事故区間の工事中止命令が出され、同命令が解除される7月12日まで5箇月以上の長期にわたり当該区間の工事が中断した。そして、本件工事のしゅん功は、9月9日の期限を約2箇月半遅延する11月25日となった。
JR東日本では、事故発生の翌日(1月23日)に、事故原因を究明するとともに復旧工事及び未施工区間の工事の施工方法を樹立するため、同社社長の委嘱を受けた部外の学識経験者7名をもって構成する「御徒町駅付近陥没事故究明検討委員会」(以下「事故究明委員会」という。)を設置した。また、この事故に関連して、2月26日以降本件工事の薬液注入工に手抜きがあったとする新聞報道がなされたことから、その事実確認のため、同月28日に社内に東工所の職員からなる検討チームを設け、この工事における薬液注入の実態を調査した。
これらによる調査の結果、まず検討チームにおいては、薬液注入量が著しく不足していたという結論を得、その調査結果を事故究明委員会に報告している。そして、事故究明委員会は、5月に同社社長あてに提出した調査報告書において、補助工法として施工した薬液注入工における薬液の注入不足が事故原因の一つであるとしている。また、この間、工事を請け負った熊谷組は、JR東日本の社長に対し本件薬液注入工に手抜きがあったことを認める報告をしている。
3 検査の観点及び方法
以上のような状況を踏まえ、本院では、上記工事の検査に際し、薬液注入工について次のような点を中心に調査した。
(ア) 薬液注入工の施工の実態はどうであったか。
(イ) 薬液注入工の施工管理は適切に行われていたか、すなわち、薬液注入不足の事態が看過されたことについて、JR東日本に何らかの落ち度はなかったか。
(ウ) 薬液注入不足に係る費用が支払われていて、工事費が過大になっていないか。
これらの点を明らかにするために、本院では、計算証明規則(昭和27年会計検査院規則第3号)に基づき既に本院に提出されていた本件工事の契約書、設計図書等の証拠書類について検査するなどした後、平成2年7月から8月にかけて東工所の、同年9月にJR東日本本社の実地検査をそれぞれ実施し、さらに3年7月に再び東工所の実地検査を実施した。これらの実地検査においては、JR東日本が保管していた工事関係書類等について調査するとともに、事故究明委員会の報告書及び前記検討チームの実態調査結果並びにこれらの基礎資料の提示を受け、説明を聴取した。
4 検査の状況
(1) 薬液注入工の施工の実態について
薬液注入工法とは、珪(けい)酸ソーダ等を主材料とする流動性の注入材(薬液)を地盤に注入して、地盤の空げきをてん充し、止水、地盤強化、既設構造物の変状防止等を図る工法である。
御徒町トンネル工事では、薬液注入工を上野駅方から御徒町駅方に向けて6工区に分割し、うち最初の工区を日本国有鉄道当時に「御徒町T新設他7」工事において、それに続くA、Bの2工区を元年1月までに「御徒町T新設他8」工事において順次施工した。そして、本件工事においてC工区の延長90m、薬液注入量2,734m3
、D工区の延長91m、薬液注入量3,384m3
及びE工区の延長99m、薬液注入量4,613m3
の3工区延長計280m、薬液注入量計10,731m3
を施工することとしている。本件工事における薬液注入工の工事費相当額は848,341,500円である。
このように、御徒町トンネル工事において、薬液注入工を施工することとしたのは、掘削部分の地盤が砂層、砂礫層等であり、かつ、地下水位が高いことから、シールド工事における掘削先端部(切羽)の安定、止水、地盤強化、漏気量の減少等を図る必要があったからである。
そして、設計によれば、珪酸ソーダを主材料とする薬液を用い、地盤への注入はパイロットトンネル坑内から行うこととし、その範囲は、本坑の断面外となる箇所についてシールドの上方3.5m〜4m、下方2.5mの厚さに注入するほか、本坑となる箇所についても上部の地層に(下部については施工上の必要に応じて)注入することとしていた(前掲参考図参照
)。
そして、本件工事を請け負った熊谷組では、薬液注入工をその専門業者3社からなる共同企業体に下請施工させていた。
薬液注入工の施工の実態は、JR東日本の検討チームの実態調査によると、次のとおりである。
(ア) 材料のうち薬液の主剤である珪酸ソーダについては、施工時に、材料メーカーが薬液注入業者あてに出荷量を示すものとして発行した計量表と、材料の取次商社が請求書の基になるものとして薬液注入業者あてに発行した納品書が熊谷組を通じて東工所に提出されており、両者の数量は一致していて設計数量以上となっていた。また、薬液の反応剤である硬化剤(瞬結型と緩結型の2種類がある。)についても、提出されていた納品書の数量は設計数量以上となっていた。
しかし、新たに材料メーカーからC、D、E各工区に納入した材料の出荷実績を報告させたところ、設計数量に対し珪酸ソーダは約49%、硬化剤(瞬結型)は約64%、硬化剤(緩結型)は約49%であった。
(イ) 薬液注入工の実態については、本坑が未掘削でパイロットトンネルが撤去されていなかったE工区においてサンプリング調査を実施した結果、設計どおり削孔されていて実際に注入したと思われる孔数は計画孔数の約17%にすぎなかった。そして、残余の空孔と思われる孔の深さは、設計では約11mとされているのに対し1.5m未満であり、しかもそのほとんどは30cm未満であった。
上記の点に関する本院の検査の概況は次のとおりである。
(ア) 材料の出荷実績については、材料メーカーがJR東日本の実態調査の際に新たに提出していた出荷実績の報告について計数等を調査した。その結果、JR東日本の調査結果どおり、報告された出荷実績は設計数量より著しく少ないことを確認したが、これが実際の出荷実績を示すものであるかどうかの最終的な確認はできなかった。また、施工時に熊谷組を通して東工所に提出されていた計量表、納品書等については、原本が捜査当局によって押収されていることなどもあって、十分な調査ができなかった。
(イ) 薬液注入工の実態については、未掘削でパイロットトンネルが撤去されていなかったE工区への立入調査を実施し、JR東日本の前記サンプリング調査の結果の妥当性を調査した。その結果、薬液注入を行っていないと思われる孔が多数あることは確認したが、いったん地盤に注入された薬液の注入量を現場観察等により把握することは著しく困難であることなど薬液注入工の特殊性から、実際の注入量を確認することはできなかった。また、C、D両工区については、薬液注入を施すこととされた地盤の相当部分が本坑の掘進に伴い掘削、廃棄されていることもあって、調査できなかった。
(2) 施工管理について
JR東日本の監督員及びその補助者(以下「監督員等」という。)は、工事請負契約の適正な履行を確保するため、工事管理規程(昭和62年4月社達第34号)に基づいて作成された土木工事監督マニュアル等(以下「マニュアル等」という。)により、施工の監督をすることになっている。マニュアル等によれば監督員等は、請負人から報告を受けた内容について確認したり、主要な工事施工段階で現場において設計図書等との照合や施工の良否の確認を行ったりすることになっているが、具体的な監督の実行については監督員等に委ねられている。
JR東日本によれば、本件薬液注入工の監督業務はマニュアル等に基づき正しく行われたとしており、その主な内容は別記1のとおりであったとしている。
JR東日本によれば、薬液の材料メーカー、商社、薬液注入業者、現場作業員等から事情聴取を行うなどして調査した結果により、薬液注入不足を発見できなかったのは、薬液注入業者等において別記2のような材料の抜取り、各種施工記録の偽造等計画的な不正行為があったことによるとしている。
本院では、JR東日本が行っていた監督について、監督員等から詳細な事情聴取を行うとともに、東工所が保管していた工事関係書類等について綿密な分析を行った。しかし、監督の実績がすべて書類に残されているものではないうえに、工事関係書類の一部が捜査当局に押収されていることもあって、監督員等がマニュアル等のとおり巡回、立会、照合等を行っていたかどうか、マニュアル等のとおり行っても手抜きが知り得ないものであったかどうかについて判断できるまでには至らなかった。
(3) 工事費について
前記のような実態調査の結果を踏まえ、JR東日本では、注入不足に対する措置として、未掘削区間であったE工区については熊谷組に再注入を行わせ、既掘削区間であるC、D両工区については再注入の必要性がなくなっていることから、注入不足分を工事費から減額することとした。減額する額の算定に当たっては、E工区も含め全体における材料納入量は設計量に対して約半分であるが、注入量不足額の査定としては、削孔数を基準にすることとした。そして、前記のとおり設計どおり削孔している孔数が計画孔数の17%にすぎなかったというE工区の調査実績を基に、C、D両工区の薬液注入工の工事金額のうち材料費、労務費等について83%を減額するとともに、過払いとなっている金額に係る金利相当分として年6%の利息で計算した額を減額することとした。これにより、2年7月、420,883,100円(うち金利相当額23,557,434円)の減額処理を行った。また、以上のほか、工期遅延や一般的損害に対する措置として、工事請負基本契約書に基づき、同年12月、所定の方法により計算した延滞償金161,345,110円、及び事故当日の振替輸送費や事故究明委員会に係る費用等として26,358,341円を納付させた。
本院では、上記の減額及び延滞償金等に係る処理については、関係書類により確認した。しかし、JR東日本の減額処理の金額が適正であるかどうかについては、薬液注入工が薬液を地盤に注入する工事であり事後の検証が著しく困難であること、工事関係書類の一部が押収されていることなどから、実際の注入量及びその注入効果が確認できないため、判断できるまでには至らなかった。
5 本院の所見
本件検査の結果、一部工事関係書類が押収されていることなどに加えて、実際の注入量等を事後に検証することが著しく困難であるという薬液注入工の特殊性から、「検査の観点」に掲げた諸点について十分な裏付資料をもって明確な結論を下すまでには至らなかったことは上記のとおりである。
しかし、本件のような薬液注入の数量が設計数量に比べ著しく不足していた事態は、JR東日本の前身である日本国有鉄道が名古屋市から委託を受けて昭和59年度から61年度までの間に施行した名古屋駅地下鉄6号線東工区(4)工事ほか4工事において既に見受けられている。そこで、本院が、61年に注意を喚起したところ、日本国有鉄道では、当時、事務連絡を発し、施工中の立会時チェック、施工記録の整備等薬液注入工の施工管理の具体的手法について改善策を講じたところである。
それにもかかわらず、今回、本件工事において、大量の薬液注入不足の事態が発生した。これが看過されていたこと、及び薬液の注入量等を事後に検証することは著しく困難であるという薬液注入工の特殊性にかんがみ、本院として、この種事態の再発防止のためには、薬液注入工の施工管理体制を充実、強化させることが肝要であると判断し、その方策について検討を行った。
JR東日本では、平成2年6月、当面の措置として、薬液注入工の施工管理を一部改善するための措置を講じていたが、本院の検討の結果、JR東日本の施工管理体制には、現状で直ちに実行可能な方策に限ってみても、なお改善すべき点があると認められた。すなわち、監督員等の許可なしに、薬液の注入量等をチャート紙に記録する自記記録計を操作できないような方策を講じること、注入日報において、注入材の納入量、使用量、残量、薬液の設計注入量、実注入量等が確認できるようにし、タンク等の実残量との照合ができるようにする措置を講じることなどの必要性が認められた。
これについて注意を喚起したところ、JR東日本では、2年11月、これらの改善策を具体化し、当面、大規模注入工事(注入量が500kl以上)において適用することとする措置を講じた。
今後、地下工事の増加に伴って、薬液注入工事も増大することが見込まれるが、薬液注入工事は昼夜兼行で施工されることもあり、監督員等がその施工の隅々まで常時監視する体制を執ることは実際上困難である。一方、薬液の注入量等を事後に検証することは著しく困難である。このため、薬液注入業者等による手抜きやそれを隠ぺいするための伝票類、工事記録等の改ざんが広範囲に示し合わせて行われるならば、上記のような措置によっても、この種事態の再発を根絶できるとは限らない。
したがって、今後薬液注入工事を施工するに当たっては、監督体制の充実のほか、薬液注入を常時自動的に管理することにより不正操作を不可能とするシステムの開発・採用などに積極的に取り組み、もってこの種事態の根絶を図ることが今後の課題である。
別記1 JR東日本が実施したとしている監督業務の主な内容
ア 注入材の数量管理について
〔1〕 注入材納入時において、珪酸ソーダ(液体)についてはタンク残量目盛り及び納入後のタンク目盛りの位置を、また、硬化剤(粉末)についてはトラック荷台での袋数を請負人に確認及び写真撮影を行わせていた。そして、監督員等は、その一部(納入回数週平均20回から30回のうち3回から5回程度)に立ち会うとともに、立ち会わないものについては写真で請負人が立ち会っているかどうかを確認していた。
〔2〕 薬液の注入量については、注入状況が記録されているチャート紙を7〜10日ごと(1日当たり約80枚)にまとめて提出させ、これにより確認していた。
〔3〕 施工業者から設計注入量、入荷量、使用量、残量等を記入した注入日報を提出させ、注入材の不足を生じさせないため残量の計算に誤りがないかの確認を行うとともに、設計注入量とチャート紙の注入量を照合して、設計注入量以上に注入されているかの確認を行っていた。
〔4〕 注入材使用量の確認は、薬液注入工の部分完了等の検査時に、施工業者が作成した材料受払簿の数量、納品伝票及びタンク等の残量により行っていた。
イ 薬液注入工の施工管理について
〔1〕 薬液の液温、ゲルタイム(薬液の硬化時間)は、巡回時に測定したり、ゲルタイム記録簿を提出させたりして確認していた。
〔2〕 注入管設置、孔角度及び深度は、パイロットトンネルの鋼製セグメント(幅75cm)5〜10リングに1孔程度(1リング当たり孔数は40程度)について立ち会い確認していた。
〔3〕 注入速度、注入圧力は現場巡回時に確認していた。
〔4〕 注入効果は、現場透水試験に立ち会い確認していた。
別記2 薬液注入業者等による手抜き工事の内容(JR東日本の調査による)
ア 珪酸ソーダの納入において、空車のタンクローリーを監督員等がいない早朝に現場に回送し、現場のタンクから珪酸ソーダを抜き取って他の場所で待機等した後、納入予定時刻ごろに現場に戻り、監督員等の立会いを受けて納入していた。また、硬化剤の納入において、車から積載量の一部しか取りおろさなかったり、空車又は少量を積載した車を早朝に現場に回送し、現場に置いてある材料を積み込んだ後に、立会いを受けて納入したりしていた。そして、これらに係る納品書等を偽造していた。
イ チャート紙への記録に当たり、2倍の速度で記録紙を送ったり、流量計の電源を切り手動で記録紙を送り針を手で動かして記入したりするなどして、現場の注入施工に全く関係なく注入施工計画書に沿った記録を作成していた。このようにして、チャート紙のほとんどを偽造していた。
ウ 薬液の注入において、所定の長さの削孔を行った箇所では設計量以上の注入を行うこともあったが、それ以外の箇所では、10〜50cm程度の削孔を行ったのみで、注入を行わないまま木栓で蓋をして注入が終ったように見せかけていた。