農林水産省は、土地改良法(昭和24年法律第195号)等に基づき、農業生産の基盤の整備等を行うことにより、農業の生産性の向上、農業総生産の増大等に資することなどを目的として、国が行う直轄事業又は地方公共団体等が行う国庫補助事業(以下「補助事業」という。)により、農業水利施設としての揚排水機場の整備を実施している(以下、揚排水機場を整備した者を「施設造成者」という。)。
農業水利施設としての揚排水機場は、揚水機場として、農業用水を供給する機能を有し、また、排水機場として、かんがいに使用された農業用水、雨水等を排水するとともに、農地や周辺の土地の湛水被害を軽減する機能を有しているものであり、このような揚排水機場の機能が地震等で失われると、農地ばかりか周辺の土地に甚大な被害を及ぼすことになる。特に都市化の進行等に伴い、かつては農地のみが存在していた地域にも人家が増加するなどしていて、揚排水機場の機能が失われた場合、周辺住民の人命・財産やライフラインにも大きな被害を及ぼすおそれがあることなどから、農林水産省は、揚排水機場の耐震性能の確保を図ることとしている。
揚排水機場は、揚排水設備等を収容する建屋(以下「上部工」という。)、円滑に水を吸い上げるための吸水槽(以下「下部工」という。)等で構成されており、上部工と下部工が一体となって機能するようになっている。
農林水産省が平成16年3月に制定した「土地改良施設 耐震設計の手引き」(農林水産省農村振興局整備部設計課監修。以下「手引」という。)において、上部工の耐震設計の実施に当たっては、建築物として建築基準法(昭和25年法律第201号)等に従うこととなっており、昭和55年に改正され56年に施行された建築基準法施行令(昭和25年政令第338号。以下「施行令」という。)において現行の耐震基準が定められている。また、下部工の耐震設計の実施に当たっては、土木構造物として手引によることとなっており、被災による周辺住民の人命・財産やライフライン等への影響を施設ごとに総合的に判断して、影響が極めて大きい施設をA種、影響が大きい施設をB種、影響が少ない施設をC種と3種類の重要度区分に設定した上で、A種及びB種の施設についてはその重要度区分に応じた耐震性能を確保すること、C種の施設については耐震設計を行わないこととなっている。
農林水産省は、施行令の改正前に設計した上部工及び手引の制定前に設計した下部工については、施行令及び手引で求める耐震性能が確保されていないおそれがあるため、耐震性能が確保されているかを判断するために必要に応じて耐震診断を実施することとしている。そして、耐震診断の実施に当たっては、施設の状況等を把握する調査、劣化の評価及び構造解析を適切に実施することとしており、そのためには、施設の構造諸元を整理することになり、整備当時の設計図書が必要となる。
(検査の観点及び着眼点)
本院は、平成23年12月に、参議院から国会法(昭和22年法律第79号)第105条の規定に基づく検査要請を受けて、24年10月及び25年10月に「公共土木施設等における地震・津波対策の実施状況等に関する会計検査の結果について」を報告しており、これらの所見において、農林水産省等は、自ら又は地方公共団体等に助言するなどして地震・津波対策を適切かつ計画的、効率的に実施するよう努める必要がある旨を記述した。そして、農林水産省は、上記の所見を踏まえて、揚排水機場を含む農業水利施設等について、耐震診断等を推進するなどのために、24年10月及び25年10月に地方農政局等に事務連絡を発している。
これらの報告では、揚排水機場のうち土木構造物である下部工を検査の対象としていたが、上部工についても、施行令の改正前に設計されたものが多数供用されていて、その中には耐震診断を実施する必要があるものがあると思料される。
そこで、本院は、合規性、有効性等の観点から、揚排水機場の上部工及び下部工の全体について、施設造成者等において、手引や前記の事務連絡を踏まえて耐震診断等が適切に実施されているか、耐震診断に用いる設計図書が適切に保管されているか、農林水産省において、耐震診断の実施状況等が適切に把握されているかなどに着眼して検査した。
(検査の対象及び方法)
検査に当たっては、昭和22年度から平成26年度までの間に、9農政局等(注1)が直轄事業により整備した揚排水機場のうち556か所(事業費計4532億7133万余円)及び27道県(注2)が補助事業により整備した揚排水機場のうち1,946か所(事業費計5848億3716万余円、国庫補助金等相当額計3008億0127万余円)、計2,502か所を対象として、9農政局等及び27道県から耐震診断の実施状況等に関する調書の提出を受け、その内容を分析するとともに、現地で揚排水機場の状況を確認するなどの方法により会計実地検査を行った。
(検査の結果)
検査したところ、9農政局等及び神奈川県を除く26道県が整備した揚排水機場について次のような事態が見受けられた。
検査した揚排水機場2,502か所のうち、更新予定があるものなど1,225か所を除く1,277か所について、重要度区分の設定状況をみたところ、A種が265か所、B種が429か所、C種が99か所、重要度区分が設定されていないものが484か所となっていた。
そして、重要度区分がA種又はB種とされた計694か所について、耐震診断の実施状況をみると、表1のとおり、203か所については、耐震診断が実施されており、耐震診断の結果、このうち128か所(63.0%)について耐震整備が必要とされ、耐震設計等が進められていた。一方、残りの491か所(直轄事業226か所、事業費計1906億7344万余円、補助事業265か所、事業費計929億9477万余円(国庫補助金等相当額計483億2355万余円))については、施設造成者等が、耐震診断の実施についての具体的な検討をしていなかったり、揚排水機場に設置されたポンプ等の機能の保全を優先するとしていたり、日常管理において施設の変状が見受けられていないため耐震診断は不要であると独自に判断していたりなどしていて、耐震診断が実施されていなかった。
しかし、前記のとおり、地震等により揚排水機場の機能が失われると周辺住民の人命・財産やライフラインにも大きな被害を及ぼすおそれがあり、特に重要度区分がA種又はB種の施設はその点で影響が大きいとされているものであること、また、上記のとおり、重要度区分がA種又はB種とされて耐震診断が実施された施設についてみたところ、その約6割において耐震整備が必要と判断されていることなどからすると、上記491か所の施設についても手引にのっとって耐震診断を実施する必要があると認められた。
表1 重要度区分がA種又はB種とされた施設の耐震診断の実施状況
施設造成者 | A種 | B種 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
耐震診断が実施されていたもの | 耐震診断が実施されていなかったもの | 計 | 耐震診断が実施されていたもの | 耐震診断が実施されていなかったもの | 計 | 耐震診断が実施されていたもの | 耐震診断が実施されていなかったもの | 計 | |
農政局等 | 34 | 64 | 98 | 20 | 162 | 182 | 54 | 226 | 280 |
道県 | 70 | 97 | 167 | 79 | 168 | 247 | 149 | 265 | 414 |
計 | 104 | 161 | 265 | 99 | 330 | 429 | 203 | 491 | 694 |
また、重要度区分が設定されていなかった揚排水機場484か所のうち1か所を除く483か所(直轄事業13か所、事業費計19億3343万余円、補助事業470か所、事業費計1953億4885万余円(国庫補助金等相当額計1000億6155万余円))については、耐震診断が実施されておらず、耐震性能が確保されていないおそれがあるため、重要度区分を設定するなどした上で、重要度区分がA種又はB種とされるなどした施設については耐震診断を実施する必要があると認められた。
さらに、耐震診断を実施するためには、設計図書を用いることとなるが、表2のとおり、検査の対象とした2,502か所のうち1,763か所(直轄事業370か所、事業費計2206億2852万余円、補助事業1,393か所、事業費計4014億7208万余円(国庫補助金等相当額計2057億8160万余円))については、設計図書が保管されておらず、耐震診断を実施するに当たって支障が生じていたり、今後、実施する際に支障が生ずるおそれがあったりなどする状況となっていた。
表2 設計図書の保管状況
施設造成者 | 施設数 | 設計図書が保管されていたもの | 設計図書が保管されていなかったもの | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
A種 | B種 | C種 | 重要度区分未設定 | ||||
農政局等 | 556(46) | 186(46) | 370(0) | 79(0) | 162(0) | 111(0) | 18(0) |
道県 | 1,946(114) | 553(87) | 1,393(27) | 119(0) | 268(4) | 240(9) | 766(14) |
計 | 2,502(160) | 739(133) | 1,763(27) | 198(0) | 430(4) | 351(9) | 784(14) |
そして、農林水産省における上記の事態への対応についてみると、前記のとおり、地方農政局等に事務連絡を発して揚排水機場の耐震診断の実施を推進するよう周知したものの、手引や同事務連絡を踏まえて実際にどの程度耐震診断が進捗しているか、耐震診断が実施されていない場合の原因は何かなどを把握しておらず、耐震診断を実施していない施設造成者等に対する適切な助言や耐震診断の実施の推進に関する検討を十分に行っていなかった。
このように、施設造成者等において、被災による影響が大きい揚排水機場の耐震診断を実施していなかったり、設計図書を保管していなかったり、農林水産省において、耐震診断の実施状況等を把握しておらず、耐震診断の実施の推進のための助言や検討を十分に行っていなかったりしていた事態は適切ではなく、改善の必要があると認められた。
(発生原因)
このような事態が生じていたのは、次のことなどによると認められた。
上記についての本院の指摘に基づき、農林水産省は、28年7月に地方農政局等に対して通知を発して、耐震診断の実施及び設計図書の保管の重要性を認識して耐震診断の実施を推進することなどを周知徹底し、また、地方農政局等を通じて都府県等に対しても同様の内容を周知するとともに、耐震診断の実施状況等に応じた助言や耐震診断の実施の推進に関する検討を適切に行えるようにするために、施設造成者等から耐震診断の実施状況等について報告させることとする処置を講じた。