居住者(日本国内に住所を有するなどの個人)の所得税額は、所得税法(昭和40年法律第33号)に基づき、年間の総所得金額等から所得控除として所定の額を差し引いた残額である課税総所得金額等を基礎として計算することなどとなっている。所得控除は15種類あり、このうち、基礎控除、配偶者控除及び配偶者特別控除は、居住者の合計所得金額が一定額(基礎控除は2500万円、配偶者控除及び配偶者特別控除は1000万円)以下であるなどの場合に適用するものである。
また、租税特別措置法(昭和32年法律第26号)第41条の規定に基づく自己の居住の用に供する住宅の借入金等を有する場合の住宅借入金等特別控除があり、これは居住用家屋の新築等をした個人の合計所得金額が一定額以下である年について、その年分の所得税額から所定の額を控除するものである。
上記のとおり、基礎控除、配偶者控除、配偶者特別控除及び住宅借入金等特別控除(以下、これらを合わせて「基礎控除等」という。)は、いずれも合計所得金額が適用要件となっている。そして、合計所得金額は、所得税法等において、総所得金額に退職所得の金額等を加算した金額となっている。
所得税法第30条の規定によれば、退職所得とは、退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与(以下「退職手当等」という。)に係る所得とされている。
退職手当等の支払を受ける居住者(以下「受給者」という。)は、同法第203条等の規定に基づき、退職手当等の支払を受ける時までに、氏名、退職手当等の金額、勤続年数等を記載した申告書(以下「退職所得の受給に関する申告書」という。)を、その退職手当等の支払をする者に提出しなければならないこととなっている。
受給者に対して退職手当等の支払をする者は、同法第199条等の規定に基づき、源泉徴収義務者として、その退職手当等について所得税及び復興特別所得税(注1)(以下「所得税等」という。)を徴収し、国に納付しなければならないこととなっている。そして、同法第226条第2項等の規定に基づき、受給者が法人の役員である場合は、当該受給者の退職所得の源泉徴収票を税務署長に提出しなければならないなどとなっている。
受給者は、退職所得の受給に関する申告書を提出している場合には、同法第121条第2項の規定に基づき、原則として当該退職手当等に係る所得税の確定申告を行う必要はないこととなっている。ただし、事業所得等の退職所得以外の所得があることなどにより納付すべき所得税額がある受給者は、同法第120条の規定に基づき、退職所得の金額を記載した所得税申告書を税務署長に提出して、確定申告を行わなければならないこととなっている。
税務署等は、事務処理手続について国税庁が定めた個人課税事務提要等に基づき、所得税申告書のデータ(注2)(以下「所得税申告書データ」という。)の記載誤りがないかなどについて形式的な確認を実施することとなっている。
その後、税務署等は、所得税申告書データの申告内容が各種情報に照らして適正であるかについて審理する申告審理を行うこととなっているが、源泉徴収票のデータ(注2)(以下「源泉徴収票データ」という。)を活用した基礎控除等に係る申告審理の事務処理手続について、個人課税事務提要等には具体的に記載されていない。
そして、税務署等では、これらの申告審理等の結果を受けて、行政指導や税務調査による是正等を図ることとなっている。
国税庁は、所得税の確定申告を行う受給者等に向けて、同庁のウェブサイトに所得税申告書の記入方法等に関する手引や質疑応答集を掲載するなどして、所得税の確定申告において基礎控除等は合計所得金額が適用要件となっていることや退職所得がある場合の確定申告の方法等に関する周知を図っているとしている。
(検査の観点、着眼点、対象及び方法)
前記のとおり、基礎控除等は、合計所得金額が適用要件となっている。
そこで、本院は、合規性、有効性等の観点から、受給者が所得税の確定申告を行う場合に退職所得の金額を加算した合計所得金額に応じて基礎控除等が適正に適用されているか、税務署等は源泉徴収票データを活用して的確な申告審理を行っているかなどに着眼して検査した。
検査に当たっては、国税庁から所得税申告書データ及び源泉徴収票データの提出を受けるなどして、源泉徴収義務者が税務署長に提出した法人の役員等(以下「役員等」という。)に係る令和2年分又は3年分の退職所得の源泉徴収票において500万円以上の退職手当等の支払を受けたとされている者のうち、当該年分の所得税の確定申告を行っていた役員等計32,843人(当該役員等を所管する全524税務署)を選定し、これらに係る両データの内容を確認するなどして検査した。
また、21税務署(注3)において、退職手当等の支払を受けた役員等が提出した所得税申告書における基礎控除等に係る申告審理の実施状況について、国税庁において、源泉徴収票データの活用に関する税務署等への指導及び退職所得がある場合の所得税申告書の記入方法に関する受給者への周知の状況等について、それぞれ聴取するなどして会計実地検査を行った。
(検査の結果)
検査したところ、次のような事態が見受けられた。
前記の役員等32,843人について、所得税申告書データと源泉徴収票データを突合したところ、所得税申告書に退職所得の金額を含めずに確定申告していた役員等が23,750人(試算した退職所得の金額(注4)計2707億2877万余円)見受けられた。そして、上記の役員等23,750人について、それぞれ試算した退職所得の金額を加算した合計所得金額に応じて基礎控除等が適正に適用されているかを確認したところ、合計所得金額が2500万円を超えていて基礎控除の適用要件を満たさなかったり、合計所得金額が1000万円を超えていて配偶者控除又は配偶者特別控除の適用要件を満たさなかったりなどしているにもかかわらず基礎控除等の額を計上するなどしていた役員等は4,515人(試算した退職所得の金額計993億0003万余円、当該役員等を所管する463税務署(注5))となっていて、基礎控除等が適正に適用されていない蓋然性が高い状況となっていた。
そこで、上記役員等4,515人の所得税等の額について、上記の試算した退職所得の金額を用いて試算したところ、合計所得金額が増加し、基礎控除等の額が減少(基礎控除、配偶者控除及び配偶者特別控除の減少見込額計19億5482万円、住宅借入金等特別控除の減少見込額計3503万余円)することにより、納付すべき所得税等の額が計5億3380万余円増加すると見込まれた(注6)。
前記のとおり、源泉徴収票データを活用した基礎控除等に係る申告審理の事務処理手続について、個人課税事務提要等に具体的に記載されていない。そこで、国税庁において、申告審理における退職所得に係る事務処理手続に関する税務署等への指導状況を確認したところ、同庁は、基礎控除等に係る申告審理について、源泉徴収票データにより退職所得の金額を加算した合計所得金額等を推定するなどの具体的な事務処理手続を示していなかった。そして、21税務署において、所得税申告書における基礎控除等に係る申告審理の実施状況を聴取したところ、源泉徴収票データを活用した申告審理を組織として行っている税務署は見受けられず、申告審理が的確に行われていない状況となっていた。
国税庁は、前記のとおり、所得税の確定申告を行う受給者等に向けて、同庁のウェブサイト等で確定申告の方法等に関する周知を図っているとしている。しかし、当該ウェブサイト等による周知の状況をみたところ、退職所得がある受給者は退職所得の受給に関する申告書を提出した場合であっても確定申告を行う場合には所得税申告書に退職所得の金額を含めて申告する必要があることについては、退職所得の受給に関する申告書の手続ページ等に明確に記載していないなどしていて、受給者等に対する周知は十分に行われていない状況となっていた。
このように、所得税申告書に退職所得の金額を含めずに確定申告していた役員等の中に、適用要件を満たさないにもかかわらず基礎控除等の額を計上するなどしていて基礎控除等が適正に適用されていない蓋然性が高い者が相当数見受けられるのに、税務署等において源泉徴収票データを活用するなどして申告審理が的確に行われていなかったり、所得税申告書に退職所得の金額を含めて確定申告する必要があることについて受給者等に対する周知が十分に行われていなかったりしていた事態は適切ではなく、改善の必要があると認められた。
(発生原因)
このような事態が生じていたのは、次のことなどによると認められた。
ア 国税庁において、退職手当等の支払を受けた役員等の所得税申告書における基礎控除等に係る申告審理を行うに当たって、源泉徴収票データを活用した具体的な事務処理手続を税務署等に示す必要があることについての認識が欠けていたこと
イ 国税庁において、退職所得の金額を含めずに確定申告していた受給者が相当数に上ることを把握しておらず、退職所得がある年分の確定申告を行う場合は所得税申告書に退職所得の金額を含めて申告する必要があることについての受給者等に対する周知が十分なものとなっているかについての検討が十分でなかったこと
上記についての本院の指摘に基づき、国税庁は、次のような処置を講じた。
ア 退職手当等の支払を受けた役員等の所得税申告書における基礎控除等に係る申告審理を行うに当たって、源泉徴収票データを活用した具体的な事務処理手続を定め、5年8月に事務連絡を発して、各国税局等を通じて全国の税務署等に周知した。
イ 退職所得がある年分の確定申告を行う場合は所得税申告書に退職所得の金額を含めて申告する必要があることについて、5年8月及び9月に国税庁のウェブサイト等に明確に記載して、受給者等に対して周知するなどした。