厚生労働省は、労働者災害補償保険法(昭和22年法律第50号。以下「労災保険法」という。)に基づき、業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病等に関して、被災労働者等に対して療養補償給付、療養給付、休業補償給付、休業給付等の保険給付(以下「労災保険給付」という。)を行っている。
労災保険法によれば、政府は、労災保険給付の原因である事故が第三者の行為等によって生じた場合(以下「第三者行為災害」という。)において、労災保険給付をしたときは、その給付の価額の限度で、労災保険給付を受けた者が第三者に対して有する損害賠償の請求権(以下「求償権」という。)を取得するとされている。
第三者行為災害において国が求償を行う相手には、損害賠償責任を負う第三者のほか、第三者が加入している保険会社等がある。
厚生労働本省が昭和50年1月に定めた「労災保険給付事務取扱手引」(最終改訂平成27年12月)等によれば、業務上の負傷又は疾病(以下「業務災害」という。)の場合に支給する療養補償給付及び通勤による負傷又は疾病(以下「通勤災害」という。)の場合に支給する療養給付(以下、これらを合わせて「療養補償給付等」という。)の方法は、都道府県労働局長の指定する病院、薬局等(以下「指定医療機関」という。)による療養そのものを給付することが原則とされており、指定医療機関は、都道府県労働局(以下「労働局」という。)に対して診療に要した費用を請求することとなっている。その際、請求することができる診療に要した費用は、負傷又は疾病の症状が固定して、医学上一般に認められた治療を行っても、その効果が期待できなくなった状態(以下「症状固定」という。)までのものに限ることとされている。そして、労働局は、指定医療機関から診療費請求内訳書等の送付を受けたときは、労災保険給付の対象として適正であるかなどの審査点検を行うこと、既に支払った療養補償給付等について、その一部又は全部の過誤払等を発見したときは、指定医療機関等に対して返納を求めることとされている。
労災保険法によれば、労災保険給付のうち、業務災害の場合に支給する休業補償給付及び通勤災害の場合に支給する休業給付(以下、これらを合わせて「休業補償給付等」という。)の支給額は、原則として、1日につき給付基礎日額(注1)の100分の60に相当する額とすることとされている。
厚生労働本省が49年11月に定めた「第三者行為災害事務取扱手引」(最終改訂平成29年3月。以下「第三者手引」という。)によれば、国が求償権を行使することができる額(以下「求償債権額」という。)は、原則として、被災労働者に生じた総損害額に第三者の過失割合を乗ずるなどした額と、労災保険給付額とを比較していずれか低い額とすることとされている。また、被災労働者に生じた総損害額のうち、治療費に係る損害額は、療養補償給付等の範囲と同一の基準により算定される額とすること、休業に係る損害額は、原則として給付基礎日額に休業日数を乗じて得た額とすることとされている。
(検査の観点、着眼点、対象及び方法)
本院は、合規性等の観点から、求償債権額の算出等の求償事務が第三者手引等に基づき適切に行われているかなどに着眼して、11労働局(注2)において、平成27、28両年度に求償権を行使した事案のうち、徴収決定済額が1件当たり100万円以上の事案5,420件(徴収決定済額計219億1028万余円)を対象に、求償債権額の算出に係る資料等の関係書類により会計実地検査を行った。
(検査の結果)
検査したところ、次のような事態が見受けられた((1)及び(2)の事態には重複しているものがある。)。
求償債権額の算出に当たり、総損害額のうち休業に係る損害額について、正しくは給付基礎日額に休業日数を乗じて得た額とすべきところ、誤って、給付基礎日額に100分の60を乗ずるなどした休業補償給付等の支給額と同額を計上するなどして算定し、これを用いて算出した総損害額に第三者の過失割合を乗ずるなどした結果、労災保険給付額を下回る額を求償していて、求償債権額が過小となっていた事態が6労働局(注3)において400件見受けられた。
上記の事態について、事例を示すと次のとおりである。
<事例1>
大阪労働局管内の事業場に勤務していた被災労働者Aは、平成24年3月に、通勤途上の事故により通勤災害と認定されたことから、療養給付1021万余円、休業給付279万余円、計1301万余円の労災保険給付を受けていた。そして、同労働局は、27年7月、当該事故が、第三者Bの行為によって生じた第三者行為災害に該当することから、求償債権額を算出し、第三者Bが加入している保険会社に求償していた。
同労働局では、求償債権額の算出に当たり、休業に係る損害額を休業補償給付等の支給額と同額とすると誤認していたことなどから、被災労働者Aの治療費に係る損害額を1021万余円、休業に係る損害額を誤って給付基礎日額に100分の60を乗じて得た休業給付の支給額と同額の279万余円と計上し、その合計額に第三者Bの過失割合の90%を乗じた1171万余円が労災保険給付額1301万余円より低額であるため同額を求償債権額としていた。
しかし、休業に係る損害額は、休業給付と同額の279万余円ではなく、給付基礎日額7,588円に休業日数628日を乗じた476万余円とすべきであった。
したがって、休業に係る損害額を適正に計上して求償債権額を算出すると、求償債権額は1301万余円となり130万余円が過小となっていた。
求償の相手方である保険会社から、治療費等に係る損害額に労災保険給付の対象とならないものが含まれている疑義があることなどを理由に求償債権額の減額請求があった場合に、労働局において、その妥当性について診療費請求内訳書の審査点検を行った担当部署に十分な確認を行わないまま、請求どおりに減額に応じていた事態が10労働局(注4)において144件見受けられた。
上記の144件については、減額請求の妥当性について十分な確認を行った上で、労災保険給付の内容に誤りがなかった場合には、減額に応ずる必要はなかったものである。一方、仮に労災保険給付の内容に誤りがあり減額請求に応ずるべきであった場合には、指定医療機関等に支払った労災保険給付のうち過誤払分の返納を求めることとされているが、上記の144件については、過誤払分の返納を求める処理が行われていなかった。
上記の事態について、事例を示すと次のとおりである。
<事例2>
神奈川労働局管内の事業場に勤務していた被災労働者Cは、平成22年11月に、通勤途上の事故により通勤災害と認定されたことから、25年10月までの療養給付、休業給付等計4198万余円の労災保険給付を受けていた。そして、同労働局は、当該事故が、第三者Dの行為によって生じた第三者行為災害に該当することから、求償債権額を2954万余円と算出し、第三者Dが加入する保険会社Eに通知した。
これを受けて、保険会社Eは、被災労働者Cの症状固定が24年7月31日であるとする診断書に基づいて、翌日以降の労災保険給付に係る求償債権額を減額するよう同労働局に請求し、同労働局は、その妥当性について診療費請求内訳書の審査点検を行った担当部署に十分な確認を行わないまま、請求どおりに求償債権額を1198万余円に減額して保険会社Eに求償していた。
しかし、前記の労災保険給付は、被災労働者Cの症状は24年8月以降も治療を要するものであるとする主治医の診断書に基づいて、上記の担当部署において審査点検が行われた上で支払われたものであるから、同部署に十分な確認を行うなどして減額請求の妥当性を判断すべきであった。
また、減額請求に応じた場合には、指定医療機関等に支払った労災保険給付のうち、症状固定の日以降の分は過誤払いになるにもかかわらず、その返納を指定医療機関等に対して求めていなかった。
このため、(1)及び(2)の事態に係る10労働局の502件について、求償債権額が27年度2億4583万余円、28年度1億4277万余円、計3億8860万余円過小に算出されるなどしていた。
このように、労働局において、第三者行為災害に係る求償債権額の算出に当たり、休業に係る損害額について、誤って休業補償給付等の支給額と同額を計上するなどしていて求償債権額が過小となっていたり、保険会社から求償債権額の減額請求があった場合に、その妥当性について担当部署に十分な確認を行わないまま、請求どおりに減額に応ずるなどしていたりしていた事態は適切ではなく、改善の必要があると認められた。
(発生原因)
このような事態が生じていたのは、厚生労働本省において求償債権額の算出方法等に係る労働局に対する指導が十分でなかったこと、10労働局において第三者手引に定める求償債権額の算出方法についての理解が十分でなかったことや、保険会社から求償債権額の減額請求があった場合に、その妥当性について担当部署に十分な確認を行うことの必要性についての認識が欠けていたことなどによると認められた。
上記についての本院の指摘に基づき、厚生労働省は、29年8月に事務連絡を発出するなどし、次のような処置を講じた。
ア 10労働局に対して、求償債権額が過小に算出されるなどしていた502件について、求償が可能なものについて速やかに、第三者、保険会社等に対して求償を行ったり、指定医療機関等に対して過誤払分の返納を求めたりすることを指示した。
イ 労働局に対して、求償債権額の算出誤りを防止するためのチェックシートを配布し、その活用を図ることを指示した。
ウ 労働局に対して、保険会社から求償債権額の減額請求があった場合に、その妥当性について十分な確認を行った上で、労災保険給付の内容に誤りがなかった場合には減額請求に応ずることなく適切に求償を行い、労災保険給付の内容に誤りがあった場合には指定医療機関等に対して確実に過誤払分の返納を求めることを指示した。