(第19部終戦処理費 第1款終戦処理費 第1項終戦処理費)
長崎県で、昭和22年4月から12月までの間5回にわたり株式会社星野組に対し、川谷貯水池築造工事費として40,280,000円を支払つたものがある。
右は、佐世保地区連合軍に対する給水用としてもつぱら旧海軍水道(施設上の給水能力1日21,000立米、実際の給水能力17,000立米)を使用してきたが、連合軍の需要(1日平均35,000立米、但し漏水40%を含む。)をみたすことができず、市の水道から分譲を受ける等によりようやく1日30,000立米を給水してきた状態で、長崎軍政部から給水能力補充の要求もあつたので、旧海軍が着手し中止状態となつていた相浦川上流川谷貯水池を118,697,174円の予算で復活築造し、1日14,000立米を連合軍専用として給水することとし、まだ連合軍からの正式要求がないのに、22年3月準備工事に着手させ、7月に101,800,000円(セメント25,000屯官給)をもつて工事請負契約を締結し、24年3月を完成期限として工事を施行してきたものであるが、その後も連合軍の正式要求書が出なかつたため、大蔵省管理局長から工事の中止を命ぜられ、23年4月14日現在の出来高精算額56,044,032円から22年度中に支払つた前記40,280,000円を差し引き、15,764,032円を支払つて工事を打ち切つたものである。しかし、本計画は連合軍使用水量を1日35,000立米とし、旧海軍水道の給水能力との差14,000立米を給水するものとして立案されたものであるが、連合軍給水量実績は21年10月頃までは1日平均35,000立米に達したけれども、11月頃から激減し1日平均19,000−28,000立米になつた実状であり、右の給水量には40%にも上る漏水量を含んでいるのであるから、これを極力減少させる外、臨時配水ポンプによる河水の利用等の方途を講ずれば軍の需要を充たすことはできたものと認められ、その後22年7月以後は軍の使用水量は更に減少して1日平均14,000−17,000立米程度となり、本件工事は全くその必要がなかつたのである。しかるに多額の予算と25,000屯に上るセメントを始め、莫大な資材を要する本件工事を正式要求書も出ないうちに着手し、結局この要求書が出ないで準備工事のまま中途で工事を打ち切らなければならなくなり、多額の支出経費をむだにする結果を招いたことは、工事の施行にあたり計画当を得なかつたものである。