東京大学医学部附属病院精神神経科では、昭和44年9月以来、同病棟の一部を大学所属の教官1名及び多数の部外の医師等により占拠されてきたため、外来患者のうちから入院を必要とする患者を入院させることができず、また、病棟における学生の臨床実習が全く行えないなど外来部門と病棟部門とを合わせた精神神経科一体としての本来の管理運営が行われないような異常な事態となっていたので、同大学において速やかにこのような事態を解消するよう適切な処置を講ずる要があると認め、53年9月に是正改善の処置を要求した。
これに対し、東京大学では、54年1月及び3月に診療科長、副科長、助手1名をそれぞれ発令し、同年5月から臨床実習を行っており、その後55年1月から科長が病棟回診を行い診療内容について直接は握できるようになったが、なお、外来部門と病棟部門との間に教育、研究及び診療に関する基本的な考え方の対立があって、入院を必要とする患者のうち1名だけが入院できたにすぎない状況である。